「自分の願いよりも優先すること」   08.08.31
                        マルコ14:32〜42
 主イエスは、「主の祈り」で「御心の天になるごとく地にもなさせたまえ」と
祈ることを教えてくださいました。そう祈ることで、真に自由でイキイキとした
生き方が生まれてくるからです。
 世界を見渡すと、戦争、飢餓、愛のない奪いあう行いが溢れています。
 御心に叶わない数々の悪を前にして「悪魔や御国の到来を妨害する者の
意思ではなく、あなたの御心をなさせたまえ」(ルター)と真剣に祈ることが
求められます。
 同時に、この祈りによって、まず自分自身を御心に聴き従う心に整えて
いくべきでしょう。教会は、この祈りの内容を「自分の意思を棄てて、
ただ一人の善なるあなたの意思に、いかなる抵抗もすることなく、聞き従う
者となるように祈ること」と教えてきました(ハイデルベルク信仰問答)。
 人の持つ、神さまの意思に従い切れない姿を、聖書は描き続けます。
 最初の人であるアダムとエバは、木の実を食べてはならないという
神さまの意思に聞かず、食べたいという自分の意思に従いました。
 それ以降、人は、責任転嫁し、妬み、対立し、自由を失い、ビクビクして
生きるものになっていきます。神さまに従わないところでは、人は健やかに
生きられないのです。自分の願いではなく、神さまの御心に聴き従うことを
求める祈りが人には必要です。
 それは簡単なことではありません。十字架にかかる前の主イエスは、
御心に従おうとして熱心に祈る姿を見せてくれました。ひどく恐れて、
もだえ、悲しみながら祈る主イエスが、祈りによって変えられていきます。
 御心に身を委ねることによる平安が、与えられたのです。祈り終えた
主イエスは、恐れから解き放たれて、穏やかに、与えられた道を進み始め
ました。
 神さまの御前で熱心に祈るその祈りの中で、人は変えられます。
 自分が神さまの大きな御心の中に包み込まれていることを信じる
ようになります。 そこで、人は健やかに忠実に生きるものになります。